やっぱり米軍の戦闘機実戦配備図があると他国機と比較しやすいはず。で、描いてみたら、陸軍機だけでスペースが一杯になっちゃった。
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気を取り直して、米陸軍航空隊の戦闘機を見ていきましょう。まず、年代と全体の配備状況を考察すると、ヨーロッパがきな臭くなって来た1936年からの3年間はP-36ホークとセバスキーP-35というショボイ機体しか配備していません。まあP-36ホークに関してはフランスやフィンランドに輸出されてそれなりの働きをした機種となってますが、イギリスのハリケーンと比べれば貧弱なものです。
気を取り直して、米陸軍航空隊の戦闘機を見ていきましょう。まず、年代と全体の配備状況を考察すると、ヨーロッパがきな臭くなって来た1936年からの3年間はP-36ホークとセバスキーP-35というショボイ機体しか配備していません。まあP-36ホークに関してはフランスやフィンランドに輸出されてそれなりの働きをした機種となってますが、イギリスのハリケーンと比べれば貧弱なものです。
WWⅡ勃発となったドイツ軍のポーランド侵攻で英・仏がドイツに宣戦布告した時点では、米国は中立国という立場ながら、P40ウォーホーク、P-38ライトニングを急ぎ配備していきます。また、英国及び英連邦諸国向けにも同機種を輸出向けに量産しています。結果的にP-38ライトニング初期型はまだ未成熟な機体で輸出を見送り、P-40ウォーホークを英国を始めとする英連邦諸国にレンドリースという形で輸出し、その傍ら、太平洋岸の防衛力強化を目的としてハワイやフィリピン、オーストラリア方面へP-40ウォホークとP-39エアラコブラを現地配備していました。結果的に、日本海軍の真珠湾攻撃・フィリピン攻略作戦によって、ゼロ戦二一型や隼1型という敵戦闘機相手にこの2機種は全く敵わず、現地飛行場は徹底的に破壊されて太平洋戦線はいきなり劣勢に立たされる事になります。しかし、海軍がミッドウェー海戦で逆転して、その後は陸海軍共闘で島嶼戦を制して日本を敗戦に追い込む事になってます。
ヨーロッパでも1941年にドイツへ向けて宣戦布告を行ないヨーロッパ戦線ではP-51ムスタングを登場させますが、まだB型は加給器無しのアリソンエンジン搭載機の為、パッとしていません。
米本国では兵器戦時量産体制を急ピッチで推し進め、物になりそうな戦闘機(P-51ムスタング、P-47サンダーボルト、P-38ライトニング)の更なる改良も急ぎ、1942年に加速力と航続性能を強化したことによって開花したP-38Gライトニングが1942年から戦線に登場させます。P-51ムスタングもB型・C型でマリーンエンジンをライセンス生産したパッカードエンジンに換装し見違えるような飛行性能を発揮しだします。
翌1443年には2機種とも名機と称えられる事になるP-51ムスタングのD型と、P-47サンダーボルトのD型を配備出来るようになり、英連邦諸国と組んでドイツから制空権を奪う主役に躍り出る事になります。
実際にこの図からでも、1943年からの実戦配備機種を見ると、敵国が羨望するほどのバランスの取れた機種タイプが揃っていて、この年から守勢から攻勢へと変わったのも容易に想像つきますし、それらの機種が物量的にもどんどん前線に配備されてくるのだから、枢軸軍は各地で制空権を失います。
夜間戦闘専用機のP-38MライトニングとP-61ブラックウィドウ。P-61ブラックウィドウは高価で最新技術の塊のような夜間レーダを搭載した専用機で配備数は少なかったが頼りになる存在でした。また、P40ウォーホークは序戦で日本軍戦闘機にボコられた機種でありましたが、F型以降はその運用しやすい頑丈さと急降下性能を活かした戦闘爆撃任務で活躍しました。
P-39エアラコブラとP-63キングコブラは、戦闘機としては運動性が全く悪く米陸軍機としては全く活躍しなかったが、レンドリースしたソ連ではプロペラスピナー内に配した大口径機関砲が重宝がられて、対戦車攻撃機として活躍してしまうから、不思議なものです。
異端な機種としてはP66バンガード。ヴェルディ社の制空戦闘機ですが性能もパッとせず、スゥエーデンなどへの輸出向けでしたが、スゥエーデンが中立宣言した事により輸出は実現せず、少数ながらアメリカ陸軍で防空戦闘機として配備されそのまま実戦に使用されずに短命に終わっています。
P-54Aエアラコメットは終戦直前にやっと30機が完成しますが、運動性および速度が当時のレシプロ戦闘機よりも劣るものであり、実戦への参加は見送られています。
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日本軍戦闘機と年代を比較する為にもイギリス戦闘機を書いてみましたが派生型も多く、やたら機種も多いのでウェストランド・ウィルキンやブラックバーン・ロック等の直ぐに偵察機や標的曳航機に格下げされた機種は省きました。
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空軍を見ると、やはりWW-Ⅱではスピットファイアを一貫として主力の制空戦闘機として使用しているのが判ります。しかしゼロ戦と違ってその派生型も常に頼りになる性能でした。日本機と年代を比べてみると、スピットファイアMk1がゼロ戦二一型とほぼ同期、Mk5が一式戦闘機隼一型と同期って感じです。Mk14となると2,000馬力のグリフォンエンジンを搭載しており、同期のゼロ戦52型となのですがその性能比較は雲泥の差が生じています。
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空軍を見ると、やはりWW-Ⅱではスピットファイアを一貫として主力の制空戦闘機として使用しているのが判ります。しかしゼロ戦と違ってその派生型も常に頼りになる性能でした。日本機と年代を比べてみると、スピットファイアMk1がゼロ戦二一型とほぼ同期、Mk5が一式戦闘機隼一型と同期って感じです。Mk14となると2,000馬力のグリフォンエンジンを搭載しており、同期のゼロ戦52型となのですがその性能比較は雲泥の差が生じています。
あと目立つのはハリケーンの実戦配備の早さで、九七式戦闘機より早く就役していますし、1939年まで唯一の戦闘機として使われていながら、バトルオブブリテンでは目立たなかったがしっかりとスピットファイアを補佐しています。そんなハリーケーンはさすがにMk2から戦闘爆撃任務がメインになりましたが、他国の戦闘機よくハリケーンの真似をした設計をしている理由がうなづけます。
タイフーンは開発当初から戦闘爆撃任務の機体で色々と欠点がありながらもテンペストが配備されるまで頑張った気がします。初期量産型は降下時に胴体尾部が折れちゃう事が重なって、急遽その部分周辺を強化した箇所の継ぎ接ぎが見えてますが、その後の生産もその継ぎ接ぎが見えたままの状態で製造しているのが、さすがイギリスって感じです。
デファイアントはもはや駄作機の代表的な存在。ホワールウィンドは高高度迎撃専用機として就役し、その性能は悪くは無かったですが当時は高高度迎撃する相手がいなくて暇な迎撃機。ボーファイターは戦闘機としては地味ながらその多用途性を活かして戦闘爆撃、雷撃、威力偵察もこなす隠れた名機でありました。
モスキートは奇跡の木製機。本来は偵察・攻撃機でありながら、優れた速度と航続力を活かし、夜間の戦闘や爆撃だけでなく、昼間の精密爆撃、戦闘爆撃、長距離偵察など様々なバージョンがそれぞれ立派に役目を果たしていました。夜間戦闘では専用の夜間レーダを搭載してて目視だけに頼って夜間迎撃した月光や屠龍とは大違いです。
ミーティアは、ドイツのジェット戦闘機Me262に遅れることわずか数週間で実戦配備された実用ジェット機ですが、当初のミーティアはたいした性能では無く、V1ロケット迎撃任務ぐらいにしか使用(あまり効果無かった)されませんでし、Me262とのジェット機対決は実現しませんでした。
海軍を見てみると、あまり性能がパッとした艦上戦闘機がありません。海軍もそれが判っているのでフェアリー社やブラックバーン社の機体だけでなく、ハリケーンやスピットファイアを艦上機型に改造したり、米海軍機を採用する事で戦力をしのいでいます。こと艦載機だけに絞って日本海軍機と比べるとかなりしょぼいイギリス艦載機でありますが、主目的が船団防衛でその船団防衛すべき範囲が広く、軍艦費がかさんで艦載機開発にかける費用が無かったのが実情です。
黄色ラベルの機種は米軍機からの採用機を表しています。キティホーク(P40ウォホーク)は北アフリカ戦線で戦闘爆撃機として重宝され、ムスタングはノルマンディ上陸戦などで防空任務に就きました。海軍ではマートレット(F4Fワイルドキャット)がフェアリー・フルマーやシーハリケーンの力不足をカバーしていました。この他にも、エアラコブラ、ライトニング、サンダーボルト、ヘルキャットも配備していましたが、少数であり目だった活躍が無かったので省きました。
やっぱりこうやって標準化した表形式にしてみると、多国間の比較がしやすく、新たに感じる事が多かったです。アメリカやイタリア、ソ連も書けるかなぁ~。特にドイツって難しそう。
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海軍は九六式艦上戦闘機によって世界水準の戦闘機を所有出来ました。
海軍は九六式艦上戦闘機によって世界水準の戦闘機を所有出来ました。
そして戦時中は常に零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が主力を勤めており、優れた旋回性能と航続距離を持って無敵を誇った21型、エンジンを少し馬力UPさせて翼端を削った形態の32型、32型で不満があった航続距離を元に戻す形となった22型。さらに速度を中心に大改良しもっとも生産されたゼロ戦となった52型と続きます。この他にも53型、62/63型、54/64型などの派生も生まれています。
また、序戦では他国では例を見ない水上戦闘機が島嶼戦で活躍するという地勢もありました。
月光は元々1942年に二式陸上偵察機として採用されていましたが、操縦席後方に斜め銃を装備した事により夜間戦闘機として再配備された機種でありました。
ミッドウェイ海戦で主力空母四隻を失ってから、空母戦力が極端に低下し徐々に守勢に入り局地戦闘機(迎撃戦闘機)の重要性が高まり、三菱の雷電と、川西の紫電・紫電改の2系列を重点配備して行くことになります。
海軍の戦闘機総計は単純計算すると14,255機。その内なんとゼロ戦系列だけで10,430機。いかにゼロ戦に頼っていたかが判ります。ゼロ戦の後継機である烈風の登場は遅すぎて8機しか完成していません。特にマリアナ沖海戦後にはろくな空母が残っていませんので、艦上戦闘機よりも局地戦闘機が主力生産となった訳です。
震電や橘花など試作だけで終わった機種は表記していません。
陸軍は軽快な運動能力を持った九七式戦闘機の登場により、海軍の九六式艦戦に性能が追いつきます。WWⅡでは海軍とちがって隼、鐘馗、飛燕、疾風、五式戦と毎年コンスタントに主力戦闘機を配備していけました。
一式戦闘機隼については1型は武装が貧弱であったがその運動能力が捨てがたく、その武装及び装甲を強化する事によってほぼ終戦まで活躍させている機種です。
二式戦闘機鐘馗は日本唯一の重戦闘機でありましたが、陸軍では有効な運用が出来ずいましたがサイパン撤退後から始まったB29に対する防空戦になってようやく見直された機種でありました。
三式戦闘機飛燕は優れた戦闘能力を持つ機種でありましたが、デリケートな高性能水冷エンジンが前線での稼働率低下となり本領が発揮しずらい機種となっています。
四式戦闘機疾風は中島飛行機の集大成として設計した優れた性能を発揮し「大東亜決戦機」と呼ばれて急ぎ量産されましたが、空冷ハ45(海軍でいう誉)エンジンの製造および整備技術の低下に泣かされた機種でありました。
五式戦闘機は、飛燕の水冷エンジンを空冷ハ112-II型(海軍でいう金星)に換装した機種ですぐれた能力を持ち終戦間際の劣勢の中で奮起した機種でありました。
二式複葉戦闘機屠龍も配備直後は長距離護衛戦闘機としては役不足であったものが、海軍の月光と同じく、斜め銃搭載で夜間戦闘機・防空戦闘機として開花した機種となりました。
火龍やキ87など試作やプランだけで終戦を迎えた機種は表記していません。
陸軍戦闘機総計を単純計算すると19,100機。海軍より制空力を持っていたように見えます。しかし、この表では現れていませんが、陸軍航空隊の単座パイロットは天測を使っての航法が出来ない為、海上途上作戦が出来ないだけでなく、例えば上海から台湾への戦闘機部隊の移動も船舶移動が必要な程でありました。この航法教育の欠点は最後まで是正される事がありませんでした。
今回は日本の軍用機にしぼりましたが、このような年代表にすると他国軍用機との優劣関係が明らかになるので、徐々に他国についても作成していきます。
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