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海軍は九六式艦上戦闘機によって世界水準の戦闘機を所有出来ました。
海軍は九六式艦上戦闘機によって世界水準の戦闘機を所有出来ました。
そして戦時中は常に零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が主力を勤めており、優れた旋回性能と航続距離を持って無敵を誇った21型、エンジンを少し馬力UPさせて翼端を削った形態の32型、32型で不満があった航続距離を元に戻す形となった22型。さらに速度を中心に大改良しもっとも生産されたゼロ戦となった52型と続きます。この他にも53型、62/63型、54/64型などの派生も生まれています。
また、序戦では他国では例を見ない水上戦闘機が島嶼戦で活躍するという地勢もありました。
月光は元々1942年に二式陸上偵察機として採用されていましたが、操縦席後方に斜め銃を装備した事により夜間戦闘機として再配備された機種でありました。
ミッドウェイ海戦で主力空母四隻を失ってから、空母戦力が極端に低下し徐々に守勢に入り局地戦闘機(迎撃戦闘機)の重要性が高まり、三菱の雷電と、川西の紫電・紫電改の2系列を重点配備して行くことになります。
海軍の戦闘機総計は単純計算すると14,255機。その内なんとゼロ戦系列だけで10,430機。いかにゼロ戦に頼っていたかが判ります。ゼロ戦の後継機である烈風の登場は遅すぎて8機しか完成していません。特にマリアナ沖海戦後にはろくな空母が残っていませんので、艦上戦闘機よりも局地戦闘機が主力生産となった訳です。
震電や橘花など試作だけで終わった機種は表記していません。
陸軍は軽快な運動能力を持った九七式戦闘機の登場により、海軍の九六式艦戦に性能が追いつきます。WWⅡでは海軍とちがって隼、鐘馗、飛燕、疾風、五式戦と毎年コンスタントに主力戦闘機を配備していけました。
一式戦闘機隼については1型は武装が貧弱であったがその運動能力が捨てがたく、その武装及び装甲を強化する事によってほぼ終戦まで活躍させている機種です。
二式戦闘機鐘馗は日本唯一の重戦闘機でありましたが、陸軍では有効な運用が出来ずいましたがサイパン撤退後から始まったB29に対する防空戦になってようやく見直された機種でありました。
三式戦闘機飛燕は優れた戦闘能力を持つ機種でありましたが、デリケートな高性能水冷エンジンが前線での稼働率低下となり本領が発揮しずらい機種となっています。
四式戦闘機疾風は中島飛行機の集大成として設計した優れた性能を発揮し「大東亜決戦機」と呼ばれて急ぎ量産されましたが、空冷ハ45(海軍でいう誉)エンジンの製造および整備技術の低下に泣かされた機種でありました。
五式戦闘機は、飛燕の水冷エンジンを空冷ハ112-II型(海軍でいう金星)に換装した機種ですぐれた能力を持ち終戦間際の劣勢の中で奮起した機種でありました。
二式複葉戦闘機屠龍も配備直後は長距離護衛戦闘機としては役不足であったものが、海軍の月光と同じく、斜め銃搭載で夜間戦闘機・防空戦闘機として開花した機種となりました。
火龍やキ87など試作やプランだけで終戦を迎えた機種は表記していません。
陸軍戦闘機総計を単純計算すると19,100機。海軍より制空力を持っていたように見えます。しかし、この表では現れていませんが、陸軍航空隊の単座パイロットは天測を使っての航法が出来ない為、海上途上作戦が出来ないだけでなく、例えば上海から台湾への戦闘機部隊の移動も船舶移動が必要な程でありました。この航法教育の欠点は最後まで是正される事がありませんでした。
今回は日本の軍用機にしぼりましたが、このような年代表にすると他国軍用機との優劣関係が明らかになるので、徐々に他国についても作成していきます。
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