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1940年3月6日に停戦となった冬戦争。しかしフィンランドはソ連軍の侵攻作戦を排除し独立を維持出来たものの、同月13日のモスクワ講和条約により、カレリア地方などソ連国境沿いの豊かな地を失った結果となり、領土を削られた恨みは晴れるものでは無かった。しかしフィンランドを取り巻く当時の状況は、傍観するしか出来なかかったイギリス・フランス、義勇兵を送り出したものの中立を維持し続けたスウェーデンや、イギリスからの救援部隊の通過を拒んだノルウェー、ソ連に組み込まれたバルト三国であり、しかもイギリス・フランスは今やドイツ相手に本格的な戦闘をしておりアテに出来ない状態であった。

 こうしてドイツと密約に至る事となり、タテマエはノルウェーへの侵攻を行なうドイツ軍の国内駐留を認めるというものであったが、実際には、ソ連に対するドイツ軍の侵攻作戦(バルバロッサ作戦)に乗じてフィンランド軍も領土奪還を図るという軍事提携であった。ドイツ軍のバルバロッサ作戦(1941年6月22日)が始まると、フィンランドは当初は中立を宣言しながらも、同月26日にソ連へ宣戦布告してドイツ北方軍とともにカレリア地方へ攻撃をしかけてスターリングラードへ向けて進撃し1944年9月19日まで続けられる「継続戦争(Jatkosota)」が開始された。


 冬戦争とうって変わって、枢軸軍の立場となったフィンランドは、ドイツ軍から兵器の供給を受け果敢にソ連軍と戦闘するがスターリングラードの戦い以降ドイツ軍が東部戦線で敗れるとソ連軍の大反抗が始まり、疲弊しきってしまったフィンランドは1944年9月19日にソ連から持ちかけられた講和を受け停戦となった。

 フィンランド軍の流れは以上のような感じで結局はソ連の物量作戦に屈服してしまうのであるが、ことフィンランド空軍戦闘機部隊となると、序戦はバッファローで善戦し、ドイツから供給されたメッサーシュミットBf109Gが配備されるとその戦闘能力は強力なものとなり、ソ連軍Yak1/7/9/3シリーズ、LaGG-3、La-5などを相手に数多くのエースを輩出する大活躍を見せた。エイノ・イルマリ・ユーティライネン(94機)、ハンス・ウィンド(75機)、エイノ・ルッカーネン(56機)がエーストップ3である。

 継続戦争が終結後、1944年9月~1945年4月の約半年間、フィンランドは、協定条件としてソ連から要求された「ドイツ軍の国内排除」のために、ラップランド戦争と呼ばれるドイツ軍を相手にした戦闘を行なっている。フィンランド国内のラップランド地方から組織的に撤退していくドイツ軍と戦闘となったもので、ここではBF109同士の空戦も行なわれているが、フィンランド爆撃隊がドイツ軍の組織的な対空砲火に大打撃を受け、それ以降、大規模な航空戦は発生しなかった。
 
 尚、冬戦争以来、フィンランド空軍の国籍マークは「青い鍵十字」を使用していた。この青い鍵十字は、冬戦争勃発時に義勇軍として参加したカール・ローゼン卿が持ち込んだDC-2改造爆撃機に描かれていたのがきかっけで、ローゼン家で代々伝わっているマークだった。しかし、ナチスドイツを打ち倒した連合軍は、敗戦国となったフィンランド空軍に対して、ナチスをイメージするという理由で、青い鍵十字マークの使用を禁止して、以降フィンランド空軍は白地に青いラウンデルマークを使用するようになった。
 
 

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