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 WWⅡの北アフリカ戦線。イタリア軍のエジプト侵攻から始まる連合軍(イギリス・アメリカ)対枢軸軍(ドイツ・イタリアなど)の戦いです。この戦場で有名となるのは、ロンメル、モントゴメリー、パットン等、地上軍の活躍話がメインとなるものが多いですが、その地上軍をエアカバーすべく、参戦国の戦闘機たちは激しい空戦を繰り広げています。
Hurricaneimages.jpg 但し、地中海沿岸は別にして、その戦場のほとんどは砂漠が広がる乾燥地帯。ヨーロッパで使用しているままの機体でこの砂漠地帯に軍用機を常駐配備すると、砂塵と気温の高低差に侵され機体が戦わずして損傷していくという過酷な環境でした。従って、新型機が開発されたからすぐに北アフリカに大量配備しようという訳には行かなかったのです。
 そこで、各国の戦闘機は、主に熱帯用フィルターを取り付ける改造を防塵対策として行ないます。この熱帯用防塵フィルターは、イギリス機ではVokes (ボークス)仕様、ドイツ機ではTrop (ドイツ語でTropische、熱帯の意味)と呼ばれていまして、その構造と形は各国で違えど、主に過給機の空気取入れ口からの砂混入防止の働きをさせました。また水冷エンジン機にはラジエター前面の防塵も重要なファクターでした。
 もちろん上空での飛行状態ではフィルター部分を開けられる構造となっていましたが、如何せん、空気吸入を抑制している訳ですからエンジンの噴き上がりはアップアップの状態です。
88_Hurricane_Mk2C.gif
 アフリカ戦線で主力として戦った戦闘機を挙げていきますと、連合軍側では、ハリケーンMkⅡ、キティホークMkⅡ、P-40E/Lウォーホークが主体で、スピットファイアMkⅤも少数が配備されてました。イギリスの水冷エンジン機種は何れもVokes(防塵フィルター)を機首下面の過給機吸入口を覆うようにしてボディと一体化する方法で装着されていました。側面図で見るとハリケーンもスピットファイアも顎がしゃくれた感じになってます。アメリア製のP-40シリーズは機首のエアインテークの中に防塵フィルターが装備されている為、外観からでは見えません。ちなみに、デハビラント・モスキートは北アフリカでは昼夜の温度差が原因で接着剤の木材構造剥離が起こり易く、防塵フィルター以前に問題がある機種もありました。

 枢軸軍機ではドイツのBf109E型の後期版とF型が主体で、Bf110Cをサブとして配備しており、若干のBf109G-2とFw190A-4も終盤に配備されていBf109E-7Trop.jpgます。Trop(防塵フィルター)は機首側面の過給機吸入口を直接、筒状のカバーで装着していました。イタリアは複葉のMC.42ファルコを使用していましたが後半からはマッキMC.200サエッタやマッキMC.202フォルゴーレなどの単葉水冷エンジン機種が徐々にまちまちに配備され、ドイツ機と同じ方法でASと呼ばれた防塵を装着していました。
 空戦状況においては、両陣営ともバトル・オブ・ブリテンの教訓を活かし一撃離脱が主体で、華々しいドッグファイトよりも、視界不良な状況が多い中でいかに先に敵機を見つけ優位な位置から射撃するかがポイントとなっていました。
 イギリスがスピットファイアMkⅤをあまり多く配備出来なかった為、常にBf109シリーズが質量とも勝っていた状況であったようです。
 また、各国の活躍機種を見てみると、敵の機甲師団や陣地などを急襲する戦闘爆撃機が活躍できた戦線でもありました。

 北アフリカ戦線で最も有名な戦闘機パイロットは、185機の合計撃墜記録を持つハンス・ヨヒアム・マルセイユ。当時のドイツ空軍にはもっと沢山の撃墜記録を持ったパイロットがいますが、マルセイユは優れた視力と見越し角射撃の名手で、その撃墜スコアのうち151機がアフリカ戦線でのわずか約1年半の任務期間で挙げたものであり、「10分間に8機撃墜」 「1日に17機撃墜」 「1ヶ月に54機撃墜」 「1機を撃墜するのに要する弾数は平均15発」 と言うような逸話を沢山持っていた。また撃墜記録151機の内、147機が戦闘機であった事は驚くべき戦跡である。彼の乗機するBf109はいずれも「黄色の14」を描いており、Bf109F-4_Gelbe14.jpgドイツ軍のプロパンダ政策の影響もあり国民的英雄となって「アフリカの星」と呼ばれていたほどの天才的なパイロットであった。私と同じくかなりの男前であったとも言われています。
 しかしそんな天才マルセイユの最後はあっけなかった。1942年9月に、受領して間もない新型機Bf109G-2/Tropで出撃中に、敵地上空でエンジン火災が発生。味方領域まで退避させようとするも、揚力を失って背面で急降下する機体から脱出を行なう際に体を尾翼に激突させてしまい、パラシュートが開かず23歳という若さで墜死してしまいました。
 

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