ライト兄弟(ウィルバー・ライトとオービル・ライト)がライトフライアーⅠ型で世界初の飛行(ガソリンエンジンを搭載した有人機での初飛行)という偉業を成し遂げたのが1903年12月17日。ノースカロライナ州のキティホークという場所で12秒飛んのがその偉大な記録の飛距時間。
こんな冒頭の書出しをすると、ライト兄弟や、二宮忠八、モジャイスキー、ラングレーなど飛行機としての初飛行な偉人達の話題をするのかと思わせがちですが、これは単なる冒頭のエピローグ文でした。それぞれの偉人達の名前をググッって見ると、それぞれの条件要素付きで「世界一の内容」が具体的に書かれたサイトがあります。
今回は、そのライト兄弟が12秒飛行した約5年半後の1909年7月。ドーバー海峡を横断飛行したブレリオⅩⅠという飛行機のお話。わずか5年半で36分55秒(約45kmの距離)を飛んだ飛行機が存在するんだから、飛行機の技術進歩はすごいものである。
出発地はフランスのカレー近郊のバラックという辺りです。ブレリオⅩⅠだけが単独でチャレンジしたのではありません。ロンドンのデイリー・メール新聞社が「ドーバー海峡横断飛行に成功したら賞金1000ポンド」と宣言した一大イベントであったのです。横断飛行イベントに参加したのは、フランスの航空技術者ルイ・ブレリオが搭乗するブレリオⅩⅠ、そして熱気球でドーバー海峡を横断飛行した事もあるユーベル・ラタムが搭乗するアントワネットⅣ、エッフェル塔を50回も旋回飛行した記録を持つド・ランベールが搭乗するライトフライアー・モデルA号の3機でした。
最初に出発したのは、ユーベル・ラタムのアントワネットⅣですが、出発して11km進んだ洋上でエンジンが故障してリタイア。ド・ランベールのライトフライアー・モデルA号は練習中に機体を壊して出発も出来ずに終わっています。結果的にブレリオⅩⅠ機だけが、エンジン(空冷25馬力)のオーバーヒートに悩まされながらもドーバー海峡横断飛行を成し遂げました。
ルイ・ブレリオは、デイリー・メールの懸賞を獲得したのみならず、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与され、さらにこの歴史的偉業を記念して、出発地の海岸は「ブレリオ海岸」と命名されています。
この偉業を成し遂げたブレリオⅩⅠにはもうひとつの初がありました。スロットルを上下する事によって機首の上下(ピッチ)、スロットルを左右に倒すことによって機体を左右に傾ける(ロール)、足元のペダルを動かす事によって機首の左右向き(ヨー)を操作するという、現在まで主流となっている3軸操縦が取り入れられた1号機です。もちろんこの時代の機体ですから、ヨーイングの仕組みはエルロンという物がなくて、主翼のねじれが使用されています。
ドーバー海峡横断を成し遂げたブレリオⅩⅠは当然の如く注文が殺到(100機を越えていた)し、ブレリオ工房は繁忙を極める事になります。量産型のブレリオⅩⅠは、横断機に比べ随所に改良が施され、後期型はノームロータリーエンジンなど、強化された各種エンジンが搭載され、各国の航空隊創生期の代表的な装備機となっています。1914年に勃発した第一次世界大戦でも、フランス、イギリス、イタリア、トルコ等の航空隊で、弾着観測や水平爆撃(25kg爆弾)に使用されています。
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