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 時は1945年にWWⅡが終戦した直後から2・3年間のお話。WWⅡで連合軍として戦勝国の一員となったソ連は、純然たるジェット戦闘機開発に遅れていた。
 WWⅡ敗戦国となったドイツ機はさておき、同じ戦勝国のイギリスではグロスター・ミーティアF.1がWWⅡで実線配備されていたしデハビランド・バンパイアも控えている。アメリカでもP-80シューティングスターが量産化を始めている状況だった。そこでソ連当局は次期主力となるべきジェット戦闘機の開発を各設計局に急ぎ指示するのは当然の事であった。
 そこでまず具体化されて来たのは、ヤコブレフ設計局のYak-15。fade51f2.jpegこの機体、急増開発に応じる為にレイシプロ傑作機Yak-3を改造設計したジェット戦闘機であった。エンジンは、ドイツのJumo-004をパクッて国産コピーしたRD-10(推力800kg)が1基。そのジェットエンジンをYak-3の機首に無理やりくっ付けた。コクピット下に位置する排気口は高熱流を発するので、排気口付近の胴体部分は防熱鋼板を貼付けている。その他はほぼYak-3を踏襲したままであり、着地姿勢も尾輪式のままであった。武装は23mm機関砲1門、そもそも1門しか無いのにその携行段数はたった60発というしょぼさ。最高速度は768km/hで当時のレシプロ機と大差は無く、垂直尾翼の拡大や防熱鋼板した部分の延長などの改修必要部分もテスト飛行で多く発生し、次に紹介するMiG-9に主力戦闘機の座は奪われています。しかし、まあバックアップ的にちょっと造っておこうかということで、約280機が生産されています。NATOコードネームはFeather(フェザー)。
 Yak-15に少し遅れて具体化してきた機体は、ミヤコン・グレビッチ設計局のMiG-9戦闘機。Mig9.jpgソ連初の実用ジェット戦闘機となりNATOコードネームはFargo(ファーゴ)と名づけられている。ジェットエンジンはドイツで開発されたBNW003をパクッて国産化したRD-20ターボジェット(推力800kg)を胴体中央下に2基搭載。中翼の位置に配された主翼は直線翼であり、Yak-15と違って前輪式の着地姿勢となっている。1946年に初飛行し最高速度は910km/hを発揮。まんまと初代主力ジェット戦闘機の座を獲得し、おおむね2,000機程度が実線配備され複座練習型も生産されている。WWⅡ当時はMiG-1やMiG-3などバックアップ的な機体しか採用されなかったミヤコン・グレビッチ設計局が始めて得た主力戦闘機の座でもありました。
 しかし、この戦闘機には設計欠陥があった。機首エアインテーク(空気取入れ口)のど真ん中に位置させている37mm機関砲の武装位置が、ジェットエンジンに致命的な障害を与えるのだった。詳しい障害が私にはわからないのですが、発砲時の発射煙やカーボンのカスがエンジン吸気部分に吸い込まれるのは想像がつきますが、もしかして空薬きょうも吸い込まれる仕組みだったのか? まあ、そんなこんなで、せっかくの37mm機関砲は使ってはいけない武装でありまして、他に23mm機関砲2門も脇に装備されていたから、とりあえず主力戦闘機になり得た訳です。
 そしてスホーイ設計局は、ソ連当局を驚かす機体を設計してきた。下図に見られるとおり、ドイツのMe262にそっくりなSu-9と呼ばれる機体であった。まあMe262をそのまSu-9.jpgんま改造した訳でなく、バブルキャノピーやカタパルト脱出式の操縦席、エルロン兼用のエアブレーキなどの新機軸も備えていたが、Me262で最も肝心の後退翼は真似されておらず直線翼なのが残念な機体であり、最高速も800km/hそこそこであった。後にこの設計はSu-11、Su-13とエンジン等を強化した設計が続けられてますがどれも試作段階で開発中止となっています。岡部いさく氏の著書によるとこのSu-9シリーズの設計が、Me262に似すぎてスターリンの激怒に触れて、スホーイ設計局は数年冷や飯を食らったと語られています。そういえば1947年ごろからスホーイ設計局の新作発表は消えています。1956年のSu-7フィッターAでやっと復活して航空史に再登場している状況ですから、やっぱ冷遇されていた事実があったんですね。
 もうひとつのソ連の代表的な戦闘機設計局のラボーチキンはどうしてたっかって?1948年になってもLa-9およびその派生型のLa-11というレシプロ空冷の戦闘機を堅実に開発していました。あと、名門ポリカポフや、グドコフ、シェフチェンコ・ニーチキン、タイロフなどの設計局は既に閉局されていました。
 1945年~48年のソ連のジェット戦闘機の話はこのように付け焼刃的なものでした。その間にも、ドイツがWWⅡで研究していた航空技術が続々と明らかになってきます。特に音速飛行を容易なものにする後退翼の技術が最たるもので、1948年後半から各設計局は次期主力戦闘機という採用争いを繰り広げる事になり、傑作機MiG-15ファゴットが産まれてきます。
 

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