忍者ブログ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 戦闘機にとって、「敵機を撃墜する」という任務はとても重要な任務です。まだ航空機創世記の第一次世界大戦初期の頃、100馬力に満たないエンジンを搭載して150km/h前後の速度で低空を飛ぶのがやっとの状態で、当初は敵陣地の偵察しか使えなかった。やがてお互いにその偵察を妨害する為、石や拳銃やライフルで攻撃するようになり1915年頃から機関銃を搭載した戦闘機が出現するようになります。

 その機関銃・機関砲の搭載ですが、複座戦闘機で機銃手を載せた場合はやっぱり単座戦闘機の機動性に敵いませんし、銃撃の命中率を得るには操縦士の視線と機体の機動が同じ軸線で一致する操縦席のすぐ前が良いのは判りますが、自機のプロペラが邪魔です。そこで、各国の戦闘機はいろいろな試行錯誤をしてゆきますが、当初はプロペラの旋回範囲をどうかわして搭載するかです。主翼の中ほどに搭載した場合、その銃弾収束率が悪く当時の技術としては弾薬数もネックでした。また、複葉機の上翼の上面に搭載して、プロペラ旋回範囲を上からかわす機体もたくさん登場しましたが、決定的な効力はありませんでした。

 そんな中、フランスのモラン・ソルニエ社の技師レイモン・ソルニエは、機銃同調装置の研究を熱心に行なっていましたがその開発は難航していた為、その発想を転換して今度は防弾デフレクター付きのプロペラをモランソルニエL、続いてモランソルニエN機に取り付けました。上の写真のように、自機から発射される銃弾がこのデフレクターにあたると後転方向に跳ね返るという仕組みで乱暴な搭載方法でしたが、プロペラ回転圏内から銃撃出来る能力は絶大でした。しかし、防弾デフレクターを持ってしてもプロペラを折ってしまう事も多くて生産49機にて終了します。

 そのモランソルニエ機を墜落機ながら鹵獲したドイツ軍は、プロペラ回転圏内への機銃搭載研究に拍車がかかります。

 当初はドイツのフォッカー社もプロペラ防弾板を使った搭載方法を研究しますがうまく行かず、既に特許を取得していた「シュナイダー式プロペラ同調装置」を発見し無許可で改良して、フォッカーE.Iの実用化にしました。この装置のカラクリはプロペラ回転軸にカムノーズを2カ所(2翅の場合)付け、銃口の前をプロペラが通過する時に引き金を引いても発射装置が動作しない構造になっています。

 ちなみに戦後、フォッカーは発明者フランツ・シュナイダーにより特許の侵害で訴えられるも、敗戦によって航空機全面禁止となったドイツを捨てオランダへ逃亡し、裁判はうやむやになってしまいました。

 話を戻して、このフォッカー・アイアンデッカー、1915年8月の実戦始動により空戦の革命を起こし、ドイツ空軍が完全に制空権を握る程の絶大な能力を発揮します。1916年に至るまで、連合軍からは「Fokker Scourge(フォッカーの懲罰)」と呼ばれて猛威を振るった期間を作りだしたほど、強力な戦闘機として君臨しました。アイアンデッカーはフォッカーE.ⅠからE.Ⅳまで派生型がありE.Ⅲがもっとも生産されて、恐れられたた機体でした。

 さて、1915年8月~1916年中頃までヨーロッパの空を制したフォッカー・アイアンデッカーでしたが、新たな敵機種が現れます。この続きは次回に致しましょう。

 
 

拍手[0回]

PR
Comment
name
title
color
mail
URL
comment
passward   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


 masa206
design&photo by [Aloeswood Shrine / 紅蓮 椿] ■ powerd by [忍者BLOG]
忍者ブログ [PR]
Task-M
Task-M by masa206
ブログ内検索
最新コメント
PR
最新トラックバック
アナライズ
Twitter
カレンダー
08 2017/09 10
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
バーコード
忍者サイトマスター

カウンター