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 パイロットであり、有名な作家でもあるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。もっとも有名な作品は「星の王子様」、児童図書ながら子供の心を失ってしまった大人に向けての示唆がふんだんにあふれている。そしてサン=テグジュペリ自身のパイロット経験を活かしたリアリズムあふれる作品となった「夜間飛行」。

 サン=テグジュペリの生き方は飛行機に向かい、飛行機に挫折し、また飛行機に向かっていくという人生を送り、常に冒険飛行に憧れ実際に数々の冒険的飛行を行なっている。
 スタジオジブリの宮崎駿氏は、彼の作品の愛読者として知られており、「紅の豚」や「ラピュタ」などの作品に出てくる飛行シーンは彼の影響を受けたと言われている。

 フランスのリヨンで1900年に生まれたサン=テグジュペリは、19歳で海軍兵学校入試に失敗。やむなく兵服志願して飛行連隊に入隊し、軍人として飛行練習生になったのちは、ひたすらに大空の夢を見る。兵役除隊後は予備役の士官パイロット(少尉)となり民間航空業界で郵便飛行士に就く。1926年(26歳)から作家デビューし自己の経験に基づいた作品を発表。特に世界中の航空業界から良くも悪くも注目される存在となっている。

 1939年に第二次世界大戦が勃発すると、フランス空軍に招集され、飛行教官を務める。前線部隊への転属を強く希望するが戦闘機部隊も爆撃機部隊も年齢(39歳)を理由に拒否。世界的に有名な作家を失いたくない国情もあったが能力的にも無理であったらしい。それでもコネを屈指して偵察隊に配属されている。多大な損害を出してパリを占領されたフランスがドイツ軍に降伏となると、彼はヴィシー政権に残る事を拒否してアメリカへ亡命。

 ド・ゴールが、亡命先のイギリスで、対ドイツ徹底抗戦の「自由フランス軍」の結成を提唱すると、彼は亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ。原隊であったⅡ/33偵察飛行隊への復帰を果たす。しかし、新鋭機に対する訓練飛行中に着陸事故を起こし飛行禁止処分を受けてしまう。それでもめげない彼はコネなどを使って必死に画策して1944年(44歳)に再びⅡ/33偵察部隊に復帰。コルシカ島に進出していたそのⅡ/33部隊にて、南フランス内部への強行偵察を画策し、ロッキードF-5B(P-38ライトニングのフランス版偵察機)に単機で出撃するが、地中海上空で行方不明となり帰還せず。

 戦後も長らく地中海で行方不明とされていたが、1950年代に問題のロッキードF-5Bの残骸が地中海のマルセイユ沖の海底で地元ダイバーが発見。しかしサン=テグジュペリの墜落現場候補とは認識されずになったままであったが、1998年にトロール船がロッキードF-5B水没地近辺でサン=テグジュペリのブレスレット(住所が刻まれていた)を発見し、2000年5月に本格的に海底調査でマスメディアに取り上げられ世界中に知られる事となった。2008年には、当時メッサーシュミットBf109のパイロットであったホルスト・リッパート(当時軍曹)が、サン=テグジュペリのロッキードF-5Bを現地上空で撃墜した事を証言。リッパート自身はその証言の中、「長い間、あのロッキードF-5Bのパイロットがサン=テグジュペで無い事を願い続けていた」と、「夜間飛行」や「星の王子様」の愛読者だった心情を語っている。
 
 
 

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