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 第二次世界大戦時にドイツのブローム・ウント・フォス(Blohm+Voss)社に在籍して活躍した航空設計技師である。彼の設計する航空機は、斬新な設計の多いドイツ機の中でも、左右非対称フォルムなどの斬新でユニークな軍用機を設計した人物として知られる。
 学生時代にエルンスト・ハインケルと出会い、第一次世界大戦時にはツェッペリン飛行船社で働けるようになり、クラウディス・ドルニエから航空設計技師となるべく教育も受けている。1922年に設計士として博士号の学位を受けると、翌1923年からドルニエ社の派遣技師として10年間、日本の川崎航空へ派遣されていた。1933年にドイツに戻った彼はブローム・ウント・フェス社へ迎え入れられ数々の名機・珍機を設計する事になる。Xv64465.jpg
 彼が主導した設計で最も有名なのは左右非対称構造の偵察機BV141。コクピットに360度視界を得るために胴体とコクピットを並べた独特のフォルムであったが、意外にも操縦安定性が高かったそうだ。また、BV138、VB220ヴィーキング、BV238などの飛行艇の設計においても多くの実用機を排出した。
 ドイツ敗戦直後、連合軍によって様々なドイツ試作プランが発見されたが、その中に、リヒャルト・フォークトの設計プラン機も何案も存在していた。よく知られるペーパープランは、翼端の両端にエンジンを配して三発機にしたP.170シリーズ。両翼端に尾翼を配したP.209~21。そして中でも驚きのプランは、P.202と名付けられた単葉可変翼機である。双発ジェットエンジンの胴体に、上翼式で一枚の主翼が装着されており、正面から見ると一般の爆撃機と変わらないフォルムであるが、その主翼は中心を基点に主翼全体が一方向に稼動する
du202.jpg
仕組みとなっており最大35度まで水平移動できるものあった。確かに可変翼であるが、「右側が後退翼35度の時、左は前進翼35度じゃないか~」、「翼端失速の宝石箱やん、まっすぐ飛ぶべるんかい」と突っ込みたくなるが、本プランはペーパー段階で実機は製作されていないので何とも言えない。どうやら、後退翼や前進翼での評価テストに使用する為のものであったらしいのだが、1979年にはアメリカのNASA航空宇宙局が同じような形状の単葉可変翼をもつAD-1という実験機で実際に飛行させているからP.202も飛んでても可笑しく無いプランだったようです。 
 リヒャルト・フォークト自身は、戦後、米空軍に請われ、アメリカへ移住しボーイング社では特に垂直離着陸機(VTOL)と水中翼船の設計に携わり、1979年にカリフォルニアにおいて84歳で死去している。
 

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