第二次世界大戦時、ドイツには軍事に貢献した優れた博士がたくさん輩出されています。名前を挙げるだけでも、前章のリヒャルト・フォークト、ロケット技術の先駆者であるヴェルナー・フォン・ブラウン、大気圏爆撃を研究したオイゲン・ゼンガー、ワルター機関を開発したヘルムート・ワルター、フォッケウルフ社で活躍したクルト・タンク、ゴーダ社で全尾翼機を現実化させようとしたホルテン兄弟。アインシュタインも元々はドイツ人であった。
そんな中、優れた航空技術でドイツ空軍をささえたドイツ航空業界において、ひときわ異彩を放った博士が居た。それがアレクサンダー・マルティン・リピッシュである。流体力学の先駆者的存在で、無尾翼・デルタ翼の追求を行ない、ロケット迎撃機のMe163コメートを設計した事で有名。
1894年にミュンヘンで生まれたリピッシュは、第一次世界大戦時に空中撮影員・観測員として従軍し航空機に目覚め、退役後にツェッペリン社にてグライダー研究機関の一員となる。ドイツ滑空機研究所として再編されたリッピッシュは、この頃から無尾翼機に興味を持ち、デルタⅠ~Ⅴ、DFS39、DFS40と次々とデルタ翼グライダーを開発。また、世界で初めてロケット動力で飛行したエンテ・カモをも設計した。
そしてリピッシュはドイツ航空省の指示で1939年前半、メッサーシュミット社へ派遣され、ロケットエンジン搭載の高速戦闘機としてMe163コメートを開発した。この機体は世界初の実用化された無尾翼デルタ機で、飛行時間がわずか8分ながら一気に時速960km/hに達するというバケモノ機であった。しかしこのMe163機体は、危険な燃料(人を溶解する混合液体)を扱わなければならず、ソリを使った降着も難しく、そして何よりも航続力が決定的に不足していた為、後世、実用兵器としては失敗策であったと判断されている。Me163コメートが実戦配備される中、ウィリー・メッサーシュミット博士との間に摩擦が絶えなかったリピッシュはウィーン航空研究所に移籍し、デルタ翼機が超音速飛行に適している事を証明する為、今度はデルタ翼超音速戦闘機リピッシュ P.13aの開発を開始するが、滑空試験機を製作している段階でドイツ敗戦を迎えていまう事となりました。
このリピッシュP.13a、機体は前縁60度、翼厚比16.6%の分厚いデルタ翼で、中央先端に突出した空気取入口を設けたラムズジェットを搭載し、コクピットはボディと一体化した垂直尾翼に位置していた。また石炭微粉末を燃料としていた迎撃機であった。最高速度はなんと1,650km/hだから音速の壁を軽くぶっちぎっている(あくまで計画です)。
しかしリピッシュの流体力学の追求は止まりませんでした。ペーパークリップ計画と称されるドイツ技術者連行によって米国へ連れて来られたリピッシュは、数々のデルタ翼研究の提唱を行なう事になった。特にリピッシュは米国コンベア社とコンビを組みXF-92を試作した経験から、、F-102 デルタダガー、F-106 デルタダート、B-58ハスラーの設計に多大な貢献をした人物となった。また1950年よりコリンズ社にて、地面効果翼機の研究を行ない、その結果として、独創的な垂直離着陸機や空中翼船の設計を先駆けたが、病気が原因で西ドイツに移住し1976年に没した。
彼は空中撮影員を経験したあと、航空機の速度の魅力に取り付かれた人物といってよく、優れた頭脳と頑固な性格、素っ頓狂な日常の言動で、いわゆる変人博士の代表的なイメージのままであったらしい。
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