ドイツ海軍が建造しようとした航空母艦グラーフ・ツェッペリン。本艦は1938年に進水したが、ドイツ海軍の戦略構想が潜水艦による通商破壊作戦を優先する為にUボート建造に集中する事となり1940年に艤装工事が一旦中断されたり、建造再開するもバルジ装着の追加や搭載させる艦載機問題に手間取っている間に大型艦製造中止命令(1943年春)が出たため、工事は完全に中止となり未完成で終戦を迎えた艦である。
艦載機の問題も、どの機種にするか等の選定以前から問題が出ていました。ドイツ空軍元帥のゲーリングが、「空を飛ぶ兵器は全部空軍管轄だ~」と吼えて断固反対するもんだから大騒動になったらしいです。
で、今回のコラムは、仮説「グラーフ・ツェッペリンが完成していたら」っていう話を書こうと思います。仮説の前提は、1943年に建造中止とならず、逆に「重点生産兵器とされて急ぎ儀装して完成した」、「艦載機は当初予定していた機種を搭載出来た」の二点とした場合です。
仮説で話を進めると、完成時期はいくら急いでも1943年の秋ですね。その頃のヨーロッパ戦況で言えば、イタリア半島に連合軍が上陸してイタリアが降伏しちゃうのが1943年9月。東部戦線ではドイツ機甲部隊がウクライナまでずるずる押し返されている頃ですね。ノルマンディ上陸はまだですね(1944年6月6日)。でも、もうこの頃のドイツでは米英爆撃機に空襲を受けだした頃だから、いよいよ戦争がやばくなって来ています。そこでグラーフ・ツェッペリンの出撃ですが、建造工事はバルト海沿いのキール軍港でしたから当然完成地もキールです。当時ならB-17フライングフォートレスなどの長距離大型爆撃機に空襲される位置にあるので慌てて出撃しないと行けない状況です。
搭載した艦載機は、予定していた4機種を積みます。戦闘機は二機種。Bf109Tという機体が主力です。この戦闘機は傑作機メッサーシュミットBf109のE-4型を元にして艦上戦闘機に改造した機体です。カタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長し翼端を折りたたみ式に改造してあって強そうやん。
「あ~!でもダメです」、艦載機として致命的な欠陥がありました。左右の主脚間隔が狭くて空母甲板への着艦が極めて難しい。元々からBF109の弱点なんだから、なんで艦上戦闘機への改造でそれを直さないのしょう。
では、もう一種の戦闘機にがんばってもらおう、Bv155ですね。メッサーシュミット社が当初開発した設計をブローム&フェス社が引き継いだもので、言わばグラーフ・ツェッペリンの為に設計した新機種です。
「あ~!でのダメです」、ターボ過給機のトラブルで満足に飛行出来てません。Bf109Tなら発艦だけは出来る(着艦も10機のうち5機ぐらいは無事降りれるかな)から、まだBf109Tのほうがマシでした。
仕方ないですから艦上爆撃機に期待しましょう。搭載機種はJu87D-4です。ベースは名機スツーカーだし、航続距離がが少し伸びて1,500km、魚雷攻撃も出来てバッチリだ。
「あ~!でもダメです」、無武装で最高速度が410km/h、魚雷搭載したら300Km/h以下だ。第二次世界大戦当初だったらこの速度で良いんだろうけど、今時なら護衛戦闘機をたくさん付けなきゃ攻撃地点にたどり着けないやん。やっぱもうスツーカーは旧式化しちゃったんだなぁ。敵戦闘機はスピットファイアMkⅤやシーファイア。米軍にはP-38が居るし、P-51Dも実戦配備されて来てるって話じゃん。
もう一機、雷撃専用の新型機があったなぁ。それはFi167。
「あ~!でもダメです」、複葉機じゃん。しかも最大速度が無武装で325km/hって、1,000kgのドイツ魚雷積んだらどんだけ遅くなるねん。イギリス海軍でもこんな機体、この時期に新規採用しないぞ。
「あ~あ」。仮説でグラーフ・ツェッペリンの大活躍の話を進めようとしましたが、やっぱり無理でした。なぜフォッケウルフFw190A系統を艦載機化しなかったんだろう?一番手っ取り早くまともな艦載機が出来そうで、空冷で整備もしやすいし、戦闘機だけでなく雷撃タイプも陸上型であったから無難にこなせそうなのなぁ。
仮にMe262やTa152の艦載機バージョンが出来るまで出撃を待っていたらどうだったでしょう。
「あ~!でもダメです」、1945年4月9日のキール軍港空爆でポケット戦艦アドミラル・シュアーとともに沈没ですね。
やっぱ、航空母艦の有効運用って、ちょっと4・5年試行錯誤したぐらいではダメなのね。フランス・イタリア・ソビエトも有効利用出来ずにそろってこけたし。
艦載機の問題も、どの機種にするか等の選定以前から問題が出ていました。ドイツ空軍元帥のゲーリングが、「空を飛ぶ兵器は全部空軍管轄だ~」と吼えて断固反対するもんだから大騒動になったらしいです。
で、今回のコラムは、仮説「グラーフ・ツェッペリンが完成していたら」っていう話を書こうと思います。仮説の前提は、1943年に建造中止とならず、逆に「重点生産兵器とされて急ぎ儀装して完成した」、「艦載機は当初予定していた機種を搭載出来た」の二点とした場合です。
仮説で話を進めると、完成時期はいくら急いでも1943年の秋ですね。その頃のヨーロッパ戦況で言えば、イタリア半島に連合軍が上陸してイタリアが降伏しちゃうのが1943年9月。東部戦線ではドイツ機甲部隊がウクライナまでずるずる押し返されている頃ですね。ノルマンディ上陸はまだですね(1944年6月6日)。でも、もうこの頃のドイツでは米英爆撃機に空襲を受けだした頃だから、いよいよ戦争がやばくなって来ています。そこでグラーフ・ツェッペリンの出撃ですが、建造工事はバルト海沿いのキール軍港でしたから当然完成地もキールです。当時ならB-17フライングフォートレスなどの長距離大型爆撃機に空襲される位置にあるので慌てて出撃しないと行けない状況です。
搭載した艦載機は、予定していた4機種を積みます。戦闘機は二機種。Bf109Tという機体が主力です。この戦闘機は傑作機メッサーシュミットBf109のE-4型を元にして艦上戦闘機に改造した機体です。カタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長し翼端を折りたたみ式に改造してあって強そうやん。
「あ~!でもダメです」、艦載機として致命的な欠陥がありました。左右の主脚間隔が狭くて空母甲板への着艦が極めて難しい。元々からBF109の弱点なんだから、なんで艦上戦闘機への改造でそれを直さないのしょう。
では、もう一種の戦闘機にがんばってもらおう、Bv155ですね。メッサーシュミット社が当初開発した設計をブローム&フェス社が引き継いだもので、言わばグラーフ・ツェッペリンの為に設計した新機種です。
「あ~!でのダメです」、ターボ過給機のトラブルで満足に飛行出来てません。Bf109Tなら発艦だけは出来る(着艦も10機のうち5機ぐらいは無事降りれるかな)から、まだBf109Tのほうがマシでした。
仕方ないですから艦上爆撃機に期待しましょう。搭載機種はJu87D-4です。ベースは名機スツーカーだし、航続距離がが少し伸びて1,500km、魚雷攻撃も出来てバッチリだ。
「あ~!でもダメです」、無武装で最高速度が410km/h、魚雷搭載したら300Km/h以下だ。第二次世界大戦当初だったらこの速度で良いんだろうけど、今時なら護衛戦闘機をたくさん付けなきゃ攻撃地点にたどり着けないやん。やっぱもうスツーカーは旧式化しちゃったんだなぁ。敵戦闘機はスピットファイアMkⅤやシーファイア。米軍にはP-38が居るし、P-51Dも実戦配備されて来てるって話じゃん。
もう一機、雷撃専用の新型機があったなぁ。それはFi167。
「あ~!でもダメです」、複葉機じゃん。しかも最大速度が無武装で325km/hって、1,000kgのドイツ魚雷積んだらどんだけ遅くなるねん。イギリス海軍でもこんな機体、この時期に新規採用しないぞ。
「あ~あ」。仮説でグラーフ・ツェッペリンの大活躍の話を進めようとしましたが、やっぱり無理でした。なぜフォッケウルフFw190A系統を艦載機化しなかったんだろう?一番手っ取り早くまともな艦載機が出来そうで、空冷で整備もしやすいし、戦闘機だけでなく雷撃タイプも陸上型であったから無難にこなせそうなのなぁ。
仮にMe262やTa152の艦載機バージョンが出来るまで出撃を待っていたらどうだったでしょう。
「あ~!でもダメです」、1945年4月9日のキール軍港空爆でポケット戦艦アドミラル・シュアーとともに沈没ですね。
やっぱ、航空母艦の有効運用って、ちょっと4・5年試行錯誤したぐらいではダメなのね。フランス・イタリア・ソビエトも有効利用出来ずにそろってこけたし。
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