特に秀でた空戦性能を持っていない機体にも関わらず、プロペラ回転圏内から銃撃出来るフォッカー・アイアンデッガーは、操縦者の視線と、機体機動が同一軸線上で一致する為、革新的な銃撃命中率を発揮して「フォッカーの懲罰」と恐れられ、有名な「ベルケの格言」を残すオスヴァルト・ベルケや、「イメルマン・ターン」という空戦マニューバを生み出すマックス・イメルマン等が活躍する事になりました。
連合国側はもちろん対抗出来る戦闘機の開発に勤しむ事になります。
まず、アイアンデッカーの対抗馬としてフランスが実用配備してきたスパッドA.2という複座の機種。前出のモランソルニエNと共に実戦に出動しましたが、この機種の機関銃搭載は機首の先端。プロペラは射撃に邪魔なので機銃手席をゴンドラ式にしてその後方に付けちゃった(右下図の機銃手席アップを参照)。この配置、確かに機体機動と同一軸線上にありますが、機銃手はペラが後ろにあって吸い込もうとする空力が半端では無い。金属パイプ状のガードは付いてますが激しい機動を行なった時に機銃手が吸い込まれたり、ゴンドラ自体が外れたりする事故が続出して、敵ではなく味方から恐れられた為、ロシア帝国へ売却。
売るほうも何ですが、買うほうも何ですね。
フランスはその後、ニューポール11という機種を開発。この機種は上翼の中央に機銃を配置して、一応ながら機体機動と同一軸線上にした機体。しかしこの機体、複葉式の下翼が小さく一葉半と呼ばれる翼を持ち、未完成の形ながらエルロンを備えており空戦能力に長けていました。
英国は「対アイアンデッカー機種」として、1915年末にF.E.2と、1916年2月にエアコーDH.2を実戦配備。この2機種は、機銃を機体機動と同一軸線上に配するためにプッシャー式(推進式エンジン)を採用し、アイアンデッガーに対抗できる性能を備えた機種となりました。そして単座戦闘機だけの戦闘機隊を配備し、フランス空軍機のニューポール11と共にアイアンデッカーに応戦して「フォッカーの懲罰」を終結させる事が出来ました。
その後、各国ともアイアンデッカーのプロペラ同調機銃を研究開発し、より正確に動作する装置(根本的な仕組みは同じ)を実用化させて、ドイツ軍のフォッカーDシリーズ、英国のソッピーズ・キャメル、フランスのニューポール21などの名機が生み出され、更なる過酷なドッグファイトにつながる事となります。
連合国側はもちろん対抗出来る戦闘機の開発に勤しむ事になります。
まず、アイアンデッカーの対抗馬としてフランスが実用配備してきたスパッドA.2という複座の機種。前出のモランソルニエNと共に実戦に出動しましたが、この機種の機関銃搭載は機首の先端。プロペラは射撃に邪魔なので機銃手席をゴンドラ式にしてその後方に付けちゃった(右下図の機銃手席アップを参照)。この配置、確かに機体機動と同一軸線上にありますが、機銃手はペラが後ろにあって吸い込もうとする空力が半端では無い。金属パイプ状のガードは付いてますが激しい機動を行なった時に機銃手が吸い込まれたり、ゴンドラ自体が外れたりする事故が続出して、敵ではなく味方から恐れられた為、ロシア帝国へ売却。
売るほうも何ですが、買うほうも何ですね。
フランスはその後、ニューポール11という機種を開発。この機種は上翼の中央に機銃を配置して、一応ながら機体機動と同一軸線上にした機体。しかしこの機体、複葉式の下翼が小さく一葉半と呼ばれる翼を持ち、未完成の形ながらエルロンを備えており空戦能力に長けていました。
英国は「対アイアンデッカー機種」として、1915年末にF.E.2と、1916年2月にエアコーDH.2を実戦配備。この2機種は、機銃を機体機動と同一軸線上に配するためにプッシャー式(推進式エンジン)を採用し、アイアンデッガーに対抗できる性能を備えた機種となりました。そして単座戦闘機だけの戦闘機隊を配備し、フランス空軍機のニューポール11と共にアイアンデッカーに応戦して「フォッカーの懲罰」を終結させる事が出来ました。
その後、各国ともアイアンデッカーのプロペラ同調機銃を研究開発し、より正確に動作する装置(根本的な仕組みは同じ)を実用化させて、ドイツ軍のフォッカーDシリーズ、英国のソッピーズ・キャメル、フランスのニューポール21などの名機が生み出され、更なる過酷なドッグファイトにつながる事となります。
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戦闘機にとって、「敵機を撃墜する」という任務はとても重要な任務です。まだ航空機創世記の第一次世界大戦初期の頃、100馬力に満たないエンジンを搭載して150km/h前後の速度で低空を飛ぶのがやっとの状態で、当初は敵陣地の偵察しか使えなかった。やがてお互いにその偵察を妨害する為、石や拳銃やライフルで攻撃するようになり1915年頃から機関銃を搭載した戦闘機が出現するようになります。
その機関銃・機関砲の搭載ですが、複座戦闘機で機銃手を載せた場合はやっぱり単座戦闘機の機動性に敵いませんし、銃撃の命中率を得るには操縦士の視線と機体の機動が同じ軸線で一致する操縦席のすぐ前が良いのは判りますが、自機のプロペラが邪魔です。そこで、各国の戦闘機はいろいろな試行錯誤をしてゆきますが、当初はプロペラの旋回範囲をどうかわして搭載するかです。主翼の中ほどに搭載した場合、その銃弾収束率が悪く当時の技術としては弾薬数もネックでした。また、複葉機の上翼の上面に搭載して、プロペラ旋回範囲を上からかわす機体もたくさん登場しましたが、決定的な効力はありませんでした。
そんな中、フランスのモラン・ソルニエ社の技師レイモン・ソルニエは、機銃同調装置の研究を熱心に行なっていましたがその開発は難航していた為、その発想を転換して今度は防弾デフレクター付きのプロペラをモランソルニエL、続いてモランソルニエN機に取り付けました。上の写真のように、自機から発射される銃弾がこのデフレクターにあたると後転方向に跳ね返るという仕組みで乱暴な搭載方法でしたが、プロペラ回転圏内から銃撃出来る能力は絶大でした。しかし、防弾デフレクターを持ってしてもプロペラを折ってしまう事も多くて生産49機にて終了します。
そのモランソルニエ機を墜落機ながら鹵獲したドイツ軍は、プロペラ回転圏内への機銃搭載研究に拍車がかかります。
当初はドイツのフォッカー社もプロペラ防弾板を使った搭載方法を研究しますがうまく行かず、既に特許を取得していた「シュナイダー式プロペラ同調装置」を発見し無許可で改良して、フォッカーE.Iの実用化にしました。この装置のカラクリはプロペラ回転軸にカムノーズを2カ所(2翅の場合)付け、銃口の前をプロペラが通過する時に引き金を引いても発射装置が動作しない構造になっています。
ちなみに戦後、フォッカーは発明者フランツ・シュナイダーにより特許の侵害で訴えられるも、敗戦によって航空機全面禁止となったドイツを捨てオランダへ逃亡し、裁判はうやむやになってしまいました。
話を戻して、このフォッカー・アイアンデッカー、1915年8月の実戦始動により空戦の革命を起こし、ドイツ空軍が完全に制空権を握る程の絶大な能力を発揮します。1916年に至るまで、連合軍からは「Fokker Scourge(フォッカーの懲罰)」と呼ばれて猛威を振るった期間を作りだしたほど、強力な戦闘機として君臨しました。アイアンデッカーはフォッカーE.ⅠからE.Ⅳまで派生型がありE.Ⅲがもっとも生産されて、恐れられたた機体でした。
さて、1915年8月~1916年中頃までヨーロッパの空を制したフォッカー・アイアンデッカーでしたが、新たな敵機種が現れます。この続きは次回に致しましょう。
その機関銃・機関砲の搭載ですが、複座戦闘機で機銃手を載せた場合はやっぱり単座戦闘機の機動性に敵いませんし、銃撃の命中率を得るには操縦士の視線と機体の機動が同じ軸線で一致する操縦席のすぐ前が良いのは判りますが、自機のプロペラが邪魔です。そこで、各国の戦闘機はいろいろな試行錯誤をしてゆきますが、当初はプロペラの旋回範囲をどうかわして搭載するかです。主翼の中ほどに搭載した場合、その銃弾収束率が悪く当時の技術としては弾薬数もネックでした。また、複葉機の上翼の上面に搭載して、プロペラ旋回範囲を上からかわす機体もたくさん登場しましたが、決定的な効力はありませんでした。
そんな中、フランスのモラン・ソルニエ社の技師レイモン・ソルニエは、機銃同調装置の研究を熱心に行なっていましたがその開発は難航していた為、その発想を転換して今度は防弾デフレクター付きのプロペラをモランソルニエL、続いてモランソルニエN機に取り付けました。上の写真のように、自機から発射される銃弾がこのデフレクターにあたると後転方向に跳ね返るという仕組みで乱暴な搭載方法でしたが、プロペラ回転圏内から銃撃出来る能力は絶大でした。しかし、防弾デフレクターを持ってしてもプロペラを折ってしまう事も多くて生産49機にて終了します。
そのモランソルニエ機を墜落機ながら鹵獲したドイツ軍は、プロペラ回転圏内への機銃搭載研究に拍車がかかります。
当初はドイツのフォッカー社もプロペラ防弾板を使った搭載方法を研究しますがうまく行かず、既に特許を取得していた「シュナイダー式プロペラ同調装置」を発見し無許可で改良して、フォッカーE.Iの実用化にしました。この装置のカラクリはプロペラ回転軸にカムノーズを2カ所(2翅の場合)付け、銃口の前をプロペラが通過する時に引き金を引いても発射装置が動作しない構造になっています。
ちなみに戦後、フォッカーは発明者フランツ・シュナイダーにより特許の侵害で訴えられるも、敗戦によって航空機全面禁止となったドイツを捨てオランダへ逃亡し、裁判はうやむやになってしまいました。
話を戻して、このフォッカー・アイアンデッカー、1915年8月の実戦始動により空戦の革命を起こし、ドイツ空軍が完全に制空権を握る程の絶大な能力を発揮します。1916年に至るまで、連合軍からは「Fokker Scourge(フォッカーの懲罰)」と呼ばれて猛威を振るった期間を作りだしたほど、強力な戦闘機として君臨しました。アイアンデッカーはフォッカーE.ⅠからE.Ⅳまで派生型がありE.Ⅲがもっとも生産されて、恐れられたた機体でした。
さて、1915年8月~1916年中頃までヨーロッパの空を制したフォッカー・アイアンデッカーでしたが、新たな敵機種が現れます。この続きは次回に致しましょう。
カーチス社(当時の正式社名はカーチス-ライト・カンパニー)は、P-36ホークという空冷エンジン戦闘機を製作。、1934年にセバスキー社のP-35と採用争いして敗れましたが、結局はその米国陸軍航空隊にて補欠採用してもらった機体があります。このP-36ホーク、R-1830ツインワプスエンジン(1,184馬力)を搭載し、フランスやフィンランド、英国にも輸出された機種で、当時としては低空性能に優れヨーロッパ戦線序戦にドイツ軍機相手に奮戦しました。その後ビルマ戦線にて日本陸軍機(主に隼かな?)に敵わずに退役した機体です。
カーチス社は1937年にこのP-36の大改造を行います。ボディを75cmほど延長し水冷12気筒エンジンであるアリソンV-1710系に換装し、ラジエター吸入口をエンジンのすぐ下に配置させたP-40ウォーホークを完成させたのです。
このP-40ウォーホークは、速度はP-36ホークよりも70km/hほど優速ながら平凡な機体でありましたが、頑丈な機体で運用性にすぐれ急降下性能が良い為、米陸軍だけで無く、主に戦闘爆撃機として英国、ソ連、中華民国など様々な連合軍で使用されるベストセラー機となり、各派生型を合わせて総生産13,700機。最終派生のP-40Nに至る1944年12月まで生産を続けた機種となりました。
カーチス社は、このベストセラーとなったP-40ウォーホークがかなりお気に入りだったのです。しかも元はP-36ホークの機体をベースにエンジンを載せ替えただけの手法ですし、一から設計する手間と時間も省けちゃいましたから。
そして、カーチス社はこのP-40ウォーホークからエンジン換装による新機種開発を続けてドロ沼にハマっていきます。他社の機種でもやっぱりベストセラー機が出来ちゃうとどうしてもその機体を再改造して「もっと良い機種を」となりますが、カーチス社は延々とこのP-40ウォーホークの改造にのめり込みます。
まずは、1939年から最高速度660km/hを目指したXP-46を開発開始。P-40ウォーホークをベースにして当時のアリソン系エンジンの最優秀なV-1710-39を搭載し、機首下のラジエターダクトをもっと小さくするという設計。しかしその原型機はP-40ウォーホークの性能を凌駕する事は出来ずに開発を断念。
1940年にはXP-53としてP-40ウォーホークをベースに層流翼とコンチネンタル・モータース製IV液冷エンジンを採用した試作機を開発。しかしP-51Dマスタングで成功したロールスロイス製マリーンに変更するように陸軍から要求されて、マリーンエンジン搭載に再設計を行ないXP-60の名称を与えられます。
マリーンエンジンに換装する事で生まれたXP-60ですが、そこからエンジン換装やプロペラ、ラジエター位置など関係者から散々弄くり回されて、試作機が5機しか生産されていないのにも関わらず、派生系が7種類も存在し、どんどんフォルムが変わったあげくに、どの派生型も役立たずで終わった可愛そうな機種となりました。
下図にXP-60の6タイプのフォルムを載せました。
XP-60が液冷マーリン28エンジンに3翔ペラでラジエターインテイクを改造。
XP-60AでエンジンがアリソンV-1710-75に換装して排気タービンが付き、主翼付け根にはその排気タービンのインテイクが付きます。ペラも4翔となり、主脚カバーは省かれています。ここぐらいの派生は他機種でもよくある事です。しかしまだXP-60の派生は続きます。
XP-60CではP&W R-2800-53の空冷2,000馬力エンジンで二重反転ペラになります。
XP-60Dは、XP-60の試作機を使ってマーリンV-1650-3エンジンに換装しペラ4翔にします。元の原型に戻ったって感じです。
XP-60Eは、アリソンエンジンを搭載していたXP-60Bを使って、エンジンを再び空冷のP&W R-2800-53に換装して4翔ペラにします。
YP-60Eは、P&W R-2800-53をよりパワーのあるP&W R-2800-18に換装しキャノピーを水滴型にします。もう外観はP-40ウォーホークと言うよりもP-47サンダーボルトに近いですね。
一時は量産発注された派生型もあるがキャンセルされたりして振り回されて、結局はどの派生型もボツ。いろいろエンジンを載せ替えましたが、どうも根本的な原因は層流翼の形や表面仕上げが悪かったらしいです。
カーチス社って同じ時期に、SB2Cヘルダイバーの実用化で苦戦(尾翼の方向安定性能が悪い)してますし、その上、SO3CシーミューはそのSB2Cヘルダイバーから改造しています。また、XP-55アゼンダーというヘンテコ先尾翼機や、P-71という巨大戦闘機も忙しい最中に試作したりしています。そんなカーチス社の中でも、P-40ウォーホークとSB3Cヘルダイバーは超一流機ではなかったけど、苦労した分だけ米国の戦時下を支える事が出来た機種だった事は間違い無いです。
そんなカーチス社は、戦後に紆余曲折を経て航空機メーカーを離れて機械や電子機器のメーカーとなっています。
カーチス社は1937年にこのP-36の大改造を行います。ボディを75cmほど延長し水冷12気筒エンジンであるアリソンV-1710系に換装し、ラジエター吸入口をエンジンのすぐ下に配置させたP-40ウォーホークを完成させたのです。
このP-40ウォーホークは、速度はP-36ホークよりも70km/hほど優速ながら平凡な機体でありましたが、頑丈な機体で運用性にすぐれ急降下性能が良い為、米陸軍だけで無く、主に戦闘爆撃機として英国、ソ連、中華民国など様々な連合軍で使用されるベストセラー機となり、各派生型を合わせて総生産13,700機。最終派生のP-40Nに至る1944年12月まで生産を続けた機種となりました。
カーチス社は、このベストセラーとなったP-40ウォーホークがかなりお気に入りだったのです。しかも元はP-36ホークの機体をベースにエンジンを載せ替えただけの手法ですし、一から設計する手間と時間も省けちゃいましたから。
そして、カーチス社はこのP-40ウォーホークからエンジン換装による新機種開発を続けてドロ沼にハマっていきます。他社の機種でもやっぱりベストセラー機が出来ちゃうとどうしてもその機体を再改造して「もっと良い機種を」となりますが、カーチス社は延々とこのP-40ウォーホークの改造にのめり込みます。
まずは、1939年から最高速度660km/hを目指したXP-46を開発開始。P-40ウォーホークをベースにして当時のアリソン系エンジンの最優秀なV-1710-39を搭載し、機首下のラジエターダクトをもっと小さくするという設計。しかしその原型機はP-40ウォーホークの性能を凌駕する事は出来ずに開発を断念。
1940年にはXP-53としてP-40ウォーホークをベースに層流翼とコンチネンタル・モータース製IV液冷エンジンを採用した試作機を開発。しかしP-51Dマスタングで成功したロールスロイス製マリーンに変更するように陸軍から要求されて、マリーンエンジン搭載に再設計を行ないXP-60の名称を与えられます。
マリーンエンジンに換装する事で生まれたXP-60ですが、そこからエンジン換装やプロペラ、ラジエター位置など関係者から散々弄くり回されて、試作機が5機しか生産されていないのにも関わらず、派生系が7種類も存在し、どんどんフォルムが変わったあげくに、どの派生型も役立たずで終わった可愛そうな機種となりました。
下図にXP-60の6タイプのフォルムを載せました。
XP-60が液冷マーリン28エンジンに3翔ペラでラジエターインテイクを改造。
XP-60AでエンジンがアリソンV-1710-75に換装して排気タービンが付き、主翼付け根にはその排気タービンのインテイクが付きます。ペラも4翔となり、主脚カバーは省かれています。ここぐらいの派生は他機種でもよくある事です。しかしまだXP-60の派生は続きます。
XP-60CではP&W R-2800-53の空冷2,000馬力エンジンで二重反転ペラになります。
XP-60Dは、XP-60の試作機を使ってマーリンV-1650-3エンジンに換装しペラ4翔にします。元の原型に戻ったって感じです。
XP-60Eは、アリソンエンジンを搭載していたXP-60Bを使って、エンジンを再び空冷のP&W R-2800-53に換装して4翔ペラにします。
YP-60Eは、P&W R-2800-53をよりパワーのあるP&W R-2800-18に換装しキャノピーを水滴型にします。もう外観はP-40ウォーホークと言うよりもP-47サンダーボルトに近いですね。
一時は量産発注された派生型もあるがキャンセルされたりして振り回されて、結局はどの派生型もボツ。いろいろエンジンを載せ替えましたが、どうも根本的な原因は層流翼の形や表面仕上げが悪かったらしいです。
カーチス社って同じ時期に、SB2Cヘルダイバーの実用化で苦戦(尾翼の方向安定性能が悪い)してますし、その上、SO3CシーミューはそのSB2Cヘルダイバーから改造しています。また、XP-55アゼンダーというヘンテコ先尾翼機や、P-71という巨大戦闘機も忙しい最中に試作したりしています。そんなカーチス社の中でも、P-40ウォーホークとSB3Cヘルダイバーは超一流機ではなかったけど、苦労した分だけ米国の戦時下を支える事が出来た機種だった事は間違い無いです。
そんなカーチス社は、戦後に紆余曲折を経て航空機メーカーを離れて機械や電子機器のメーカーとなっています。
Menphis Belle(メンフィス・ベル)の映画を見たでしょうか?私は昭和の時代に見た覚えがあったですが、YouTubeで無料で見れるのがあったので、再びじっくり見てしまいました。
F-17フライングフォートレスのF-10型、シリアル41-24485機(メンフィスベル号)が、英国駐屯の米第8空軍で25回目のミッションを達成すれば搭乗員10人全員が帰国出来る規定になっていて、その25回目の出撃がストーリーのメインです。元ネタは実話で当時プロパガンダに使用されて有名になった機体なんです。ノーズアートは当時流行したカレンダーのマスコットガールであったペティガールズで、機種右側は赤い水着、左側は青い水着が描かれており、本機は現在でも「メンフィス・ベル・パビリオン」に展示されています
映画では実際のB-17本物を2機使って撮影していて、「The Tuskegee Airmen」というWWⅡ映画に出てくるデタラメ機とは雲泥の差です。
今回、無料のYouTubeで見れる動画は、Partが10個に分かれていて見づらいし、日本語訳は付いてません。しかも、Part1とPart2はどうやら削除されているようで見つかりませんでした。が、しかし、やっぱ良い映画は見ごたえがありますので、ミリタリー好きの方はいかがでしょうか?
Memphis Belle (1990) Part 3 Memphis Belle (1990) Part 4
Memphis Belle (1990) Part 5 Memphis Belle (1990) Part 6
Memphis Belle (1990) Part 7 Memphis Belle (1990) Part 8
Memphis Belle (1990) Part 9 Memphis Belle (1990) Part 10
Part5から、メンフィスベル機の最後の出撃が始まります。Part6から敵の迎撃を受け始めます。Part8あたりから目が離せない展開になってオススメです。
英語版なので、ちょっと解説をPart8以降だけしましょう。
Part8=副操縦士が後部機銃座に面白半分で交代してもらって、Bf109を撃墜したらそれが僚機のB-17にぶち当たったり、爆撃投下地点上空に到達するも雲にじゃまされて爆弾投下出来そうに無い状況で、「もうどこでも良いから爆弾落として帰投したいという葛藤」。運よく目的地上空で雲の切れ目が出て爆弾投下した後、ほっとしてるのもつかの間、腹部旋回銃座がBf109の機銃にぶち抜かれて機銃員が落下しそうになったり、そうこうしてるうちに胴体側面に攻撃を受けて機銃員1名が怪我をしたっていう場面です。
Part9=今度は第4エンジンを銃撃されて火災が発生。第4エンジンの火災を消すために味方編隊を離れて、急降下を行ないます。結局4基エンジンのうち第1と第4エンジンは破壊されており、残り2基のエンジンで飛んで単機で基地へ帰る事になったメンフィスベル。少しでも機体を軽くするために機銃などは投下する羽目になります。基地上空にヨタヨタでたどり着こうという頃、今度は片側主脚が出ません。手動でレバーをクルクル回して脚を強制的に出すしかありません。
Part10=ラストシーンです。手動で片側主脚を出そうと試みますが、あちこちにガタが来ていて飛行高度が下がってきます。さあ、脚を出すのが間に合うか。
そういえば、昔、PCゲームで、このメンフィスベルを題材にしたフライトシュミレーションがありまして、海外版だったので難易度設定やキーコンフィグが判らず、離陸させる事も出来なかったのを思い出しました。
F-17フライングフォートレスのF-10型、シリアル41-24485機(メンフィスベル号)が、英国駐屯の米第8空軍で25回目のミッションを達成すれば搭乗員10人全員が帰国出来る規定になっていて、その25回目の出撃がストーリーのメインです。元ネタは実話で当時プロパガンダに使用されて有名になった機体なんです。ノーズアートは当時流行したカレンダーのマスコットガールであったペティガールズで、機種右側は赤い水着、左側は青い水着が描かれており、本機は現在でも「メンフィス・ベル・パビリオン」に展示されています
映画では実際のB-17本物を2機使って撮影していて、「The Tuskegee Airmen」というWWⅡ映画に出てくるデタラメ機とは雲泥の差です。
今回、無料のYouTubeで見れる動画は、Partが10個に分かれていて見づらいし、日本語訳は付いてません。しかも、Part1とPart2はどうやら削除されているようで見つかりませんでした。が、しかし、やっぱ良い映画は見ごたえがありますので、ミリタリー好きの方はいかがでしょうか?
Memphis Belle (1990) Part 3 Memphis Belle (1990) Part 4
Memphis Belle (1990) Part 5 Memphis Belle (1990) Part 6
Memphis Belle (1990) Part 7 Memphis Belle (1990) Part 8
Memphis Belle (1990) Part 9 Memphis Belle (1990) Part 10
Part5から、メンフィスベル機の最後の出撃が始まります。Part6から敵の迎撃を受け始めます。Part8あたりから目が離せない展開になってオススメです。
英語版なので、ちょっと解説をPart8以降だけしましょう。
Part8=副操縦士が後部機銃座に面白半分で交代してもらって、Bf109を撃墜したらそれが僚機のB-17にぶち当たったり、爆撃投下地点上空に到達するも雲にじゃまされて爆弾投下出来そうに無い状況で、「もうどこでも良いから爆弾落として帰投したいという葛藤」。運よく目的地上空で雲の切れ目が出て爆弾投下した後、ほっとしてるのもつかの間、腹部旋回銃座がBf109の機銃にぶち抜かれて機銃員が落下しそうになったり、そうこうしてるうちに胴体側面に攻撃を受けて機銃員1名が怪我をしたっていう場面です。
Part9=今度は第4エンジンを銃撃されて火災が発生。第4エンジンの火災を消すために味方編隊を離れて、急降下を行ないます。結局4基エンジンのうち第1と第4エンジンは破壊されており、残り2基のエンジンで飛んで単機で基地へ帰る事になったメンフィスベル。少しでも機体を軽くするために機銃などは投下する羽目になります。基地上空にヨタヨタでたどり着こうという頃、今度は片側主脚が出ません。手動でレバーをクルクル回して脚を強制的に出すしかありません。
Part10=ラストシーンです。手動で片側主脚を出そうと試みますが、あちこちにガタが来ていて飛行高度が下がってきます。さあ、脚を出すのが間に合うか。
そういえば、昔、PCゲームで、このメンフィスベルを題材にしたフライトシュミレーションがありまして、海外版だったので難易度設定やキーコンフィグが判らず、離陸させる事も出来なかったのを思い出しました。
娘から「ストライク・ウィッチーズってアニメ、知ってる?」と聞かれた。むちゃ気に入るか、全く気に入らないかのどっちかになると言われて、知らなかったのでググッって見ると、なんと、、、、年甲斐も無く、数日後にはDVD BOXを買ってしまった。
萌え系少女達が主人公のアニメなのだが、その舞台背景は第二次世界大戦。敵は「ネウロイ」というエイリアンみたいな未知の敵で、各国は人類連合軍として戦うという筋書きなんですけど、かなり私を刺激するミリタリーや元ネタエピソードなど出てきてるし、モデルとなる国に合わせたストライカーユニットや銃を持ってる。
「アルスナル戦闘機を乗機としてるからこのキャラの出身国ガリアってフランスの事だ。しかしアルスナルなんて通だなぁ」、「お!このキャラはあの国のエースパイロットだ。という事はスオムスって架空の国はフィンランドだな、どうりでこのキャラはサウナが好きなんだ。でもなぜ、オラーシャ出身のサーニャと仲が良いんだろう」、「アメリカネタは陸軍と海軍が一緒だ」などと、すっかり気に入っちゃいました。
決して美少女パンチラにハマった訳では無いですよ。私的には、トゥルーレこと、ゲルトルート・バルクホルン大尉が一番のお気に入りかな。
それぞれのキャラクター一覧なるものを、サイトで拾って来たので、拡大して見て見ては?
テレビアニメ版キャラクターガイド
小説版や同人誌版では、地上戦ストライカーユニットや、もっと古い機体も出てくるらしい。買わなくでは。
もう一種類、娘に教えてもらったアニメがありまして、「ストラス・フォー」というやつで、こっちは、英国の超音速偵察爆撃機TSR-2試作機を元ネタにして地球に飛んでくる隕石を相手に防空する美少女アニメらしいです。「らしい」というのは、まだあまり面白さが判ってないからです。しかしTRS-2の知名度が学生達に何故か高かったのはこのアニメがあったからと、長年の疑問がひとつ解けました。
萌え系少女達が主人公のアニメなのだが、その舞台背景は第二次世界大戦。敵は「ネウロイ」というエイリアンみたいな未知の敵で、各国は人類連合軍として戦うという筋書きなんですけど、かなり私を刺激するミリタリーや元ネタエピソードなど出てきてるし、モデルとなる国に合わせたストライカーユニットや銃を持ってる。
「アルスナル戦闘機を乗機としてるからこのキャラの出身国ガリアってフランスの事だ。しかしアルスナルなんて通だなぁ」、「お!このキャラはあの国のエースパイロットだ。という事はスオムスって架空の国はフィンランドだな、どうりでこのキャラはサウナが好きなんだ。でもなぜ、オラーシャ出身のサーニャと仲が良いんだろう」、「アメリカネタは陸軍と海軍が一緒だ」などと、すっかり気に入っちゃいました。
決して美少女パンチラにハマった訳では無いですよ。私的には、トゥルーレこと、ゲルトルート・バルクホルン大尉が一番のお気に入りかな。
それぞれのキャラクター一覧なるものを、サイトで拾って来たので、拡大して見て見ては?
テレビアニメ版キャラクターガイド
小説版や同人誌版では、地上戦ストライカーユニットや、もっと古い機体も出てくるらしい。買わなくでは。
もう一種類、娘に教えてもらったアニメがありまして、「ストラス・フォー」というやつで、こっちは、英国の超音速偵察爆撃機TSR-2試作機を元ネタにして地球に飛んでくる隕石を相手に防空する美少女アニメらしいです。「らしい」というのは、まだあまり面白さが判ってないからです。しかしTRS-2の知名度が学生達に何故か高かったのはこのアニメがあったからと、長年の疑問がひとつ解けました。
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